今だから知りたい吉田松陰

第2回 幕末という時代〜その1

語り手:大江戸蔵三
都内の某新聞社に勤める整理部記者。三度のメシより歴史が好きで、休日はいつも全国各地を史跡めぐり。そのためか貯金もなく、50歳を過ぎても独身。社内では「偏屈な変わり者」として冷遇されている。無類の酒好き。

聞き手:吉田なぎさ
都内の某新聞社に勤める文化部の新米記者。あまり歴史好きではないのだが、郷土史を担当するハメに。内心ではエリートと呼ばれる経済部や政治部への異動を虎視眈々と狙っている。韓流ドラマが大好き。

幕末は今の日本にそっくり?

それで、吉田松陰を一言で言うとどんな人なんですか?



一言で言えば「一言では言えない人」だ。



なんですかそれ? 大臣とか長官とか、そういう肩書きとかないの?



あとで肩書きが付いたのはむしろ弟子達のほうだな。松陰の肩書きらしい肩書きと言えば、長州藩の兵学師範、今で言うなら公立大学の講師ぐらいで、最終的な職業は、小さな私塾の先生だ。

えっ? 大学の講師から塾の先生になったってこと?



そういうさぁ、受験産業の話じゃないの。坂本龍馬だって、肩書きだけを言うならフリーターがベンチャー企業の社長になったという程度だよ。言い換えれば、松陰にせよ、龍馬にせよ、組織の枠組みに収まるようなスケールの人間ではなかったということさ。

だけど、フリーターや小さな塾の先生じゃ、生活するのが精一杯で何もできないでしょ。


そこなんだよ。それが幕末の奇跡だ。あの時代に日本を動かしたのは、必ずしも組織のトップではないんだ。むしろ名もない地方の青年であったり、若手の官僚だったり、松陰のような在野の指導者だったんだ。

でも、地位も肩書きもない人たちが、どうやったら世の中を動かせるの?



まず第一に、その時の日本の状況を見ないと謎は解けないだろうね。19世紀に入ると、産業革命後の西ヨーロッパ諸国によって、アジアやアフリカの植民地化が進んでいった。1842年に「眠れる獅子」清が阿片戦争でイギリスに敗北すると、雪崩を打ったように列強が中国大陸に進出してくる。嘉永6年(1853)の黒船来航は、その虚を突いたアメリカの日本進出だったというわけだ。

なるほど。突然外敵がやってきたから、若者が中心になって日本を守ろうと立ち上がったってことか…。


そんなに単純な話じゃないんだよ。当時一般の武士にも庶民にも「日本国民」という意識は殆ど無かったんだ。「国」といえば「藩」のことであり「お家」のことなんだ。龍馬のいた土佐藩も松陰のいた長州藩も、お互いから見れば「外国」なわけ。

え〜? 外国ってことは、パスポートが必要だってこと? そんなわけないでしょ。


あはは。実は必要なんだよ。藩を出て他藩に行くときは街道や湊に必ず関所や番所があるから通行手形が必要だし、それ以前に移動そのものが厳しく規制されていたんだ。ただ、お伊勢参りなんかの時は例外的に許されたらしいけどね。

それじゃあ、江戸時代の日本政府の代表って誰なの?



国政を動かしていたのは徳川幕府だ。但し、京都には朝廷があって、幕府は朝廷から国政を委任されているという形になっている。


なんだか複雑ねぇ。



この「幕藩体制」や「大政委任」という仕組みがある程度わからないと、幕末という特殊な時代背景は理解しにくい。最終的には幕藩体制は「大政奉還」を契機に崩壊していくわけだけど、黒船来航以前の日本は250年もの間、徳川幕府の支配下にあって平和そのものだったから、実際に海外から外敵がやって来たらどうするかなんて真剣に考えていなかったんだよ。

平和ボケっていうヤツね。



第一、当時の幕府も諸藩も赤字財政問題が最重要課題で、外交なんて考えてる余裕はなかった。何しろ「鎖国」以来国内生産、国内消費が全てで、外貨を稼ぐ手段が殆ど無いわけだから、一度財政難に陥ると長年の負債が重くて立て直しが難しい。しかも天保年間(1830〜43年)に記録的な凶作が続いたから税収も上がらないし、米価高騰でインフレも加速していた。

財政難とか負債とか税収不足とか、何か野田総理の演説みたいじゃない?



そういう意味ではいろんな面で似ているね。老中の水野忠邦(写真左)がいわゆる「天保の改革」で緊縮財政や金融政策、税収の安定化を図るんだけど、結局は旗本や紀州といった既得権者の反対にあって頓挫する。

ホント、気味が悪いぐらい似てるわねぇ。



時代は少し下るけど「安政の大地震」なんてのもあったからね。凄く似てるよ。加えて役人や政治家、つまり武士の数が増えすぎたというのも今と同じだね。これも削減案を出すと徹底的に潰されるというわけで、今の日本と同じように、幕府は何も決められず、前にも後ろにも進めない状況だったわけ。

何だか身につまされるわ〜。



しかし、そういった幕府の混迷ぶりに対して、水戸、薩摩、長州といった地方の藩が財政改革を断行して成功するんだ。そこで初めて「地方から国政を変えよう」という気運が生まれてくる。これも何かと似てないかい?

ページトップへ戻る